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チミケップ(Chimikepp)
チミケップは、日本の北海道の網走郡津別町という大自然の中にある、歩いて1周できちゃう、周囲12㎞の小さな湖の名前です。
チミケップの名前の由来は、辞書によると、アイヌ語の「チミケプ」に由来すると考えられていて、これは、「分ける・削る・もの」という意味であり、上流の峡谷の姿、すなわち「山水が崖を破って流下する所」を現したものと考えられているそうです。
約一万年前の地殻変動による崖崩れで谷がせき止められてできたと考えられている堰止湖です。
湖水は弱アルカリ性で、ヒメマスやウグイ、マリモ等が生息している。
この湖畔にあるのが、YMCAの国際キャンプ場 です。
南岸の端から200 m下流のチミケップ川には7段の岩床の上を流れ落ちる「鹿鳴(ろくめい)の滝」がある。
YMCA チミケップ国際キャンプ
豊かな自然に恵まれたYMCAチミケップ国際キャンプ場は1964年に当時の全米キャンプ協会会長でミシガン州YMCAキャンプディレクターの故クリフトン・M・ドゥルーリー氏をキャンプ長に迎え、北海道知事の要請で設立、敷地面積約4万平方メートルを開墾した。
ドゥルーリー氏が伝えたアメリカ式キャンプは、主にグループ単位で過ごす教育キャンプで、キャンプ生活を通してたまーにに教育的価値を見出し、青少年の人格形成の総合的な教育をするとしていた。
小学生から高校生までのプログラムを中心に実施され、今までに約115,000名の世界各国からの青少年が国際交流、国際理解、友情を深めるキャンプを実施した。
ドゥルーリー氏の後任として1984年から現在までキャンプ長とプログラムディレクターを務めるマイケル・ウルフ氏が毎年、ミシガン州からチミケップに訪れている。
キャンプ場敷地内にはキャンプファイヤーやアーチェリー、カヌー、ヨットなどが体験できる設備があり、キャンプ初心者向けの日帰りキャンプから連泊する上級者向けまで、さまざまなプログラムが用意されている。
毎年各国からたくさんのリーダーやキャンプ参加者がここに集い、貴重な経験をしています。
この歴史あるキャンプ場はYMCAの職員はもとより、トレーニングを受けたキャンプリーダーがキャンパーの生活をサポートし、また、ここで育ったOB達も毎年ボランティアとして参加しております。
チミケップの自然は海抜307m、エゾマツ、トドマツの針葉樹が多く、また、その森にはエゾフクロウ、ムクドリ、クマゲラなどの多くの鳥類、エゾシカ、キタキツネ、エゾリスほか多くの動物も生息している自然豊かなキャンプ場です。
チミケップの仲間
毎年、夏になるとチミケップキャンプが懐かしくなって、色々、検索してみるが、割とあまり出てこない。
チミケップリーダーOB会70年代はあるようだが、70年の皆さんは、私が中学校、高校性の時にリーダーだった方達で、とても懐かしい方達ばかりです。
私は80年代OBになります、何人かとは今でも連絡を取っていますが、しばらく日本に帰っていないのもあり、みんなどうしているのかなと思ってます。
このブログでまた、つながることができればいいな!と思ってます。
私の事、知ってるかもと思ったら、気軽にメールしてください。
本名は載せてませんが、チミケップの仲間でハワイに住んでいるのは、多分、私くらいだと思いますので、私がだれか、察しがつくのではないかな?と思ってます。
私がリーダーしてた頃のキャンパーの子達も、当たり前だけど大人になっているんですよね。
近況、知らせてください。
これからも、このカテゴリーはチミケップの想い出なんかを書いていこうと思ってます。
YMCA との出会い
YMCAのキャンプには、幼稚園の時から親が自営業で忙しかったせいもあり、毎年、兄と一緒に春と冬は札幌YMCAのスキープログラム、夏になると札幌YMCAのキャンプに行かされていた。
幼稚園、小学生の時は、札幌YMCAの支笏湖のキャンプというのに参加していた、支笏湖のキャンプに参加していた頃は、故 大林良雄氏のお兄さんの大林冨雄氏に小さかったので可愛がって頂いたのを覚えている。
途中からキャンプ場が支笏湖から積丹キャンプ場にかわった、この頃から宮崎主事キャンプに登場されて、ワイルドなキャンプをしてくれて、楽しかったのを覚えている。
一年中、YMCAにお世話になっている子供だった、もう忘れたけど毎週土曜日になにかをするクラスにも通っていたと思う、クッキー焼いたり、キャラメル作ったり、鬼ごっこしたりしていたような記憶がある、丁度、そのころ、宮崎主事が大学を卒業して、札幌YMCA にやってこられたと思う、遊んでもらった記憶がある。
中学校の時は軟式テニスを習いに通っていた。
はじめてのチミケップキャンプ
初めてのチミケップキャンプは、間違ったのに参加しちゃいました。
中学校の時、初めて、YMCAの宮崎善昭主事にすすめられて行ったのが、チミケップキャンプだった。
でも、残念、ちょっと違うキャンプに間違って参加してしまいました。
ワイズメンズなんちゃらキャンプ
私が参加したのは、中学生国際キャンプではなく、ワイズメンズクラブの方たちが主催のワイズメンズなんちゃらキャンプとかいうやつで、あまり人が集まらなかったらしく、宮崎主事もたしか、定かではないがワイズメンズの一員だったと記憶している、だから人数集めに一役買ったのだろう、で、私がまんまとキャンプに送られたのではないかと勝手にいまだに思っている。
参加人数も多分、25人もいなかったとおもう、その為か、手厚いおもてなしは受けたものの、あまりのキャンパーの少なさに不安になったのを覚えている、最後にキャンプの感想文を提出させられて、「ぜんぜん楽しくなかったって」書いたのを覚えている、今、考えたら、かなり、残酷なコメントだっただろうなと心が痛む。
のちのち、この、ワイズメンズなんちゃらキャンプは第1で終了したようだと聞いて、私のような被害者を出さない為にも、よかったと本当に思った。
通常は、北見市内からキャンプ場に大型バスで向かうのだが、私達は、ワイズメンズのおじさん達の車に、何人かずつ、分けて乗せられて、途中でご飯もご馳走になって、通常は、途中でご飯を食べることもない、チミケップに向かった、とにかくおじさん達が至れり尽くせりなのは、理解できたがキャンプは楽しくなかった。
宿泊先はキャンプ場の近くに立っていた、今は無い、コンクリートで作られた建物、センターというところだった。最近、チミケップに関わった人は知らないかもしれないけど、昔は、センターとキャンプ場で2つの場所で同時にキャンプが行われていたんだよね。
私が参加したプログラムは参加人数が少なかったので、リーダーもキャンパー1人にリーダー1人付く位の比率だったと思う、その時はこんなものか、チミケップキャンプはもう参加しなくていいかな?って思っていた。
ある日、今日の朝はキャンプ場までマラソン行きます!ということになった。
これが噂の、高校生国際キャンプだ!
朝、キャンプ場までみんなで走って行って驚いた!!
すごい歓声、すごい熱気、楽しいのが空気だけで伝わってくる、キャンプ場でキャンプしてる人達が拍手で、出迎えてくれた、あまりの人数に驚いた120人位の人達、いや、もう少し、いたかな?
すっごい楽しそう、なに、これこそが高校生国際キャンプだった、完全に、参加したキャンプの間違いに気が付いたと同時に、来年は、このキャンプに参加したい!って思ったのが、始まりだった。
翌年、チミケップ国際キャンプに参加した、キャンパーの人数が多すぎて、チミケップ初心者と経験者で、センターとキャンプ場で分けられてキャンプをしていたので、もう、あまり、覚えてないけど、翌年もセンターだったような気がするが、キャンパーはすっごくたくさんいて、キャンプは楽しかったのを覚えてる。
それから、ずーと、毎年夏はチミケップキャンプ、大学生になってからはリーダーとして。
リーダーはキャンパーと違ってズート、夏の間、キャンプ場に入れるから社会人になっても何年もリーダーやスタッフになってチミケップに行っていた。
多分、ハワイに移住するまでは毎年行っていたし、今でも日本に住んでいたら毎年行くと思う。
YMCAでのキャンプ経験は人生のOJT まさに!
先日、Mr.たくみの記事を見たら、YMCA でのキャンプは人生の OJTって言ってたけど、まさに、その党利だなって強く共感しました。
キャンプの写真持ってないので、たくみの記事の写真使用しました、だれか昔のみんなで写ってる写真送ってください。
企業研修などで講義形式のトレーニングに対し、OJT(On-the-JobTraining)という単語が用いられるが、まさに私にとってYMCAキャンプはその後の人生を生きてゆくための OJT であったと思う。
講師はそこに集う、仲間、スタッフ、リーダー、キャンパー全員で構成されるチームと自然である。
彼の連絡先、わからないので、「感動したよ!」って連絡できないから、いつか彼の目に留まればいいなと思って、ここに書いておきます。
私も人生の基盤が作られた場所だと思っている、だから、昔も今も、これからも守っていきたいきたで人生におけるほとんどの基盤を、このYMCAキャンプで学んだような気がする。
特に故 大林良雄氏には、本当に感謝している、日本に帰るたびに会っていたけど、次、日本に帰ってももうあえないんだよね、悲しいけど、多分、悲しむと怒られるからね。
まとめ
しばらく、宮崎さんにも連絡していないから、連絡してみよう。
もう、何年も日本に帰っていないので、チミケップにはもう何十年も行けてないけど、いつも、いつも、行きたいと思っているし、忘れた事がない。
だから、たまーに、チミケップYMCA国際キャンプって検索してみたりしてるんだよね。
今でも、たくさんの人たちが、キャンプに関わって、なんとか、キャンプ場を維持してくれてるみたいですね、ありがとうございます。
これからも、たまーに、こみあげてくる、私のチミケップの想い出を書いていきます。